梵我蓮&ディヴァイン・ソウルの福音

新刊発売「梵我蓮エソテリカ・シリーズ」光の道 へ―確たる基礎とは何か

Posted on: 2010年10月3日

新刊発売「梵我蓮エソテリカ・シリーズ」光の道へ―確たる基礎とは何か

 次の新刊が出ました。ぼちぼち本屋にも入荷すると思います。(^ー^)
 梵我蓮エソテリカ・シリーズ。オリエンタル神秘のエソテリック・ティーチングを開示する史上初の試みです。

 アマゾンURL: http://amzn.to/9H1Y1K

 動画URL: http://youtu.be/QZMCjnXaRMk

【梵我蓮(ぼんがれん)とは】
 オリエンタル神秘(一般的な東洋/アジア)の顕教と密教をあますところなく教導する、新世紀の霊性修行・総合大学。
 「梵我蓮エソテリカ」は、はるか有史以前からの全時代・全民族・全信仰を通して、神秘家、予言者、聖者、修行僧たちが伝えてきた「銀河宇宙および森羅万象の秘儀・秘教・秘伝・秘法」の神秘的真理を明らかにし、アートマン(真我)へと至る道を説く、壮大な教えの体系。  宇宙とつながる「梵我蓮」修法カリキュラム、いよいよシリーズ化!

****
1.はじめに/梵我蓮とは

2.人間とは何か
    自分を見つめる方法「自分探しの行」
    霊的成長への意志の表示

3.エネルギーについて
    エネルギー認識のための基礎的な行

4.修行と伝授

5.カルマと浄化について
    戒を守る

6.身体を整える
    背骨のゆがみをとり、整え、強くする
    肉体的なバランスと、エネルギーの充実

7.神仏と世界のあり方
    護身法
    勧戒
    ナマスマーラ

8.現世利益について
    シルディ・サイ・ババへの祈り

9.死生観、肉体を持たない者たち、死者との関わりなど

10.守護的存在について

[備考] 口伝の秘法

****

1.はじめに  〜梵我蓮とは

 梵我蓮とは、東洋の顕教と密教に加え、「古代の秘儀」と「新代の秘儀」を主題に置いた霊性修行の要となる総合大学です。そこは霊性修行の神髄であり、神仏によってもたらされた修行の集大成です。

 古代インド神聖言語のサンスクリット語において、「梵我蓮」の意味を説明しましょう。

 「梵」とは『ブラフマン』、すなわち宇宙創造主であり、神にして宇宙原理たる永久不滅の存在です。

 「我」とは『アートマン』、我ら人間の本質的原理・魂です。

 古代インドの聖典・ベーダの最重要テーマに、「アートマンはブラフマンに他ならない(梵我一如)」という言葉があります。
 この言葉どおり、私たちの個人の中には創造主たる神・悟った存在としての仏、全てを成り立たせている宇宙原理が蔵されているのです。
 そして、「それが自己の本質だと悟り、それと一体化すること」を目指すのが霊性修行の最終地点です。
 それは、仏教の最終形態である後期密教においても、言葉による至宝の灌頂、「汝は、汝の父自身です」という同じ言葉で示されています。

 そうして、「どうやってそれを成し遂げるか」が修行者にとって、また全ての人間にとって、最重要の目的・テーマとなったのです。
 そのために、聖者によって考えだされ、悟りを得た者に用意され、神仏より恩寵として与えられた「言葉」、「しるし」、「おこない」。それらを私たちは修行と呼びます。私たちは古代より、それらを至玉の宝として脈々と受け継いできたのです。

 そして、「蓮」『パドマ』とはハスの華です。それは泥の中から生まれ出で、清浄にして美しい花をさかせる華の王です。それはまた古来より神仏の象徴です。
同時に、修行者として「無智の泥から出でて、神仏と同じく清浄可憐な華となる人間」の象徴でもあります。

  梵我蓮とは、それら梵我合一をめざし修行する蓮華たちのための、類稀なる学び舎であり、それらの者たちの連帯や友愛の場でもあります。

 その修行体系は、主に東洋の教えや行法に根差します。
 古代から今に連なる秘儀の系譜を主題に置き、顕教と密教をともに学びます。
 特にヒンドゥーの奥義やインド後期密教(後期仏教)を根本行・根本経典とします。  それに加え、梵我蓮に諸神、諸仏が与えた神聖なる教えがあります。
 それらの行法を中心に行体系を組み、人間の霊的成長、最終的に悟りをめざすものです。

 これらは、洋の東西を問わない諸神、諸仏の教示と導きによってもたらされたものです。
 価値のある教えや行法は普遍的にして、宗教や文化の枠を超え、どの宗派とも対立矛盾するものではありません。  梵我蓮は、宗教の垣根を超え、全ての人に開かれています。
 どの宗教に属している人にも、大いなる恩寵・福音であり、何らの障害となるものではありません。
 全ての人に、「神に、仏に、近づくことを、また、その可能性と手段を示すもの」なのです。  真理はひとつです。

 そして、その修行体系は以下のように出来上がりました。
 古今東西に存する数限りない「行法」と呼ばれる個々の知識を、その意味をつぶさに理解しました。
 「修行」という長い道程・高度にシステム化された体系のなかで、それらをどのように位置付け、どのように統合するか考えました。  また、足りない知識を神仏の助けにより、補いました。

 それはあたかも、「個々の行法」というバラバラになったピースを一枚の絵に仕上げるかのように、精緻な作業でした。  その完成は諸神諸仏の恩寵に他なりません。
 まさに、一枚の大いなる「絵」が出来上がったのです。

 また、梵我密教の教えや行は、真正なる正道「光の道」です。
 そこに左道的(邪道的)な要素(アゴーラ的行、性的な行法など)は一切含まれません。
 ある種の行体系などに含まれる、ネガティブなエネルギーを利用する行法(アゴーラ行)や性的な行法などは、含まれません。

 釈迦牟尼ブッダが説いたような、中道を旨とする行体系であり、偉大な完成に至る修道です。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。